29歳、海外を旅するフリーランスデザイナーになるまで Vol.1

今回から、どのようにフリーランスデザイナーとして

海外に住むようになったのかをざっくり話したいと思います!

自分自身、元々音楽が大好きで、英語には興味があったんですが、

本当に勉強ができずに30歳ぐらいまでにフリーランスデザイナーとして、

海外で暮らすことができたらいいなとぼんやり目標設定していた感じです。

それよりもまずは第一にデザインの能力をあげなければいけないと思い、当時はデザインのスキルアップに力を注いでいました。

さて、ここから時系列で話していこうかと思います。

美大学生チームでのイベント

2008年、美術大学の学生時代に美術 / 音楽 / ダンスなど、色々なものが複合的に混ざったイベントを東京の橋本あたりで定期的に行っていました。当時の僕は21歳ぐらいですね!

そこではダンスバトルがみれたり、バンドの演奏がみれたり、ライブパフォーマンスやコンテンポラリーダンスがみれたりと、若いながらに色々挑戦したいと思って活動していた感じです。

そこから、青森県、十和田市現代美術館の学芸員さんに目をつけてもらい、

2009年にこの学生チームをよんでもらい、展示やらイベントを行いました。

この学生チームの名前はSozo Age、デザイナー、カメラマン、ダンサー、ペインター、バンドマン、プロダクトデザイナー、ガラス作家、DJなど本当に色々な人がいた感じです。

まだ、インターネット上にページが生きていたので、死ぬほど時間があったらみてみてくだいw Sozo Age1 Sozo Age2

スウェーデン人モデル Krsさんとの出会い

2010年、十和田市現代美術館の当時の館長さんがイギリスのクリエイティブ集団 tomatoのボスの奥さんだったということもあり、Underworldのカール・ハイドがラフォーレミュージアム原宿で行なった展示のレセプションパーティに遊びに行かせてもらいました。

そこで、僕のインターナショナル人生の1回目の分岐点が起こります!

スウェーデン人モデル、アーティスト、プロデューサーのKrsさんとの出会いです。

当時の僕は結構ストリートのキッズ的な格好をしていたため、そのレセプション会場の中でもかなり浮いていたと思いますw

確か僕はバンダナにハットで、スケボーとかもっていたかもw

とにかく周りはみんな業界の人たちだったので、学生で青臭さの残る僕たちは

本当に“stand out like a sore thumb”って感じでした。

(↑わからない人、調べてw)

そんな場違いなメンバーで、今まで食ったこともないようなレセプション用のおしゃれフードを食いながら、こういう場所き慣れてますよ風のオーラを出そうと必死になっていると、向こうからモデルのような(実際モデルなんだけど)白人の男性が歩いてきます。

知らない人と話すことは大好きなので、全く英語は話せなかったのですが話しかけてみました。そしたらめちゃくちゃよくしてくれて「今度うちの事務所に遊びにきなよ」と誘われたのです。この時のことはかなり鮮明に覚えてます。

初めての外国人の友達ができたのと、世界的なアーティストUnderworldのカールハイドとも話させてもらい、一夜にしてめちゃくちゃいい経験をしたな!と浮かれていた23歳。

次回はKrsさんの事務所に行ってからのその後を話します! Don’t miss it out!

29歳、海外を転々とするフリーランスデザイナーになるまで Vol.2

↓以下は補足になるので興味がある人は読んでみてください

ここまで見るとすごく順調に見えますねw

でも大学行きながら、しかも当時の学生たちの自分たちは自己主張もめちゃくちゃ強かったし、大学の授業を少しおざなりにしながらこんなことをしてたので、結構タフでした。メンバーも多かったので、中型バスの免許をとってメンバーが運転しながらみんなで東京から青森まで行ってましたw

なんかこの学生チームの何がゴールだったのかは今思うと全然わからなかったけど、エネルギーだけはめちゃくちゃあったのでその勢いでワーワーやってたのがどんどん繋がっていった感じですね。

だから、どんなことでも一生懸命なんかやってると、結局誰かが声かけてくれて面白いことになっていくなぁというのは間違いないかもです!僕の人生、ほとんどこれなので!

よく就職を前にした学生から、何をしたいかわからないという風に相談を受けますが、

「僕も未だに自分が何をしたいのかわからないよ」と答えます!lol

だって、とにかくやりたいことがありすぎる!一回の人生なんだし!

でも最低限生きていく上でお金はかかるので、

自分の得意なことを伸ばして、お金を稼ぎながら、

やりたいことを一つ一つ楽しんでいけたらいいんじゃない?っていう感じです!

それが僕にとってはデザインでした。

本当に音楽が好きでバンドとかも長くやっていたけど、これはまぁ才能がなかった。

だから、まずはデザインで食えるようになって、そこからどんどん裾を広げていこうと考えたわけです。

これだけ時代が早く変化していく時代。

誰も数年前まで、 ユーチューバーなんて職業を考えていなかった。

しかも既存の職業もどんどんAIのおかげで無くなっていきます。

だから、具体的な職業をゴールに決めるよりも、

自分自身を毎日たけめていくことの方が多分プラクティカルだと思うよ!

僕は美大に入るまで、PCなんて全然使えませんでした。

でも、イラストレーターや、フォトショップのソフトが使えるようになり、

山梨に住みながら東京の最先端なデザインをしている自分のデザインの師匠との出会いもあり、

だんだんと、仕事しながら海外を転々し、色々なものを吸収しながら活動していけたらいいなぁという夢ができてきました。

そんで、それが2015年に実現した感じです。

んで、まだまだ自分のやりたいことを叶えるためにオラオラ毎日、地球上で好きなことしてますw

長くなりましたが、次回はKrsさんとの出会い以降の話をします

よろしくでーす! Don’t miss it out!

29歳、海外を転々とするフリーランスデザイナーになるまで Vol.2

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