灼熱のキューバ編7(ハリケーン・イルマ)

ドミニカ行きの飛行機は飛ばず、キューバに閉じ込められる

キューバ最終日、この日僕はドミニカへ出発の予定だったのだが、前日に宿の管理人からハリケーンのため全ての飛行機が欠航になったということを聞いていた。

メールを確認すると案の定、航空会社からキャンセルのメールが届いていた。

振替予約のため空港のコパ・エアラインに電話してみるが電話に出ない。

これではいつキューバを脱出できるかわからないため、とりありずたかおと空港に行ってみることにした。

タクシーから見る空の雲行きは怪しく、夜にはハバナにハリケーン・イルマが到着するというのは目に見えて明らかだった。

唯一、ヨーロッパ方面の便だけが出ているのだが、それ以外のフライトは全てキャンセル。

カウンターにも人はいない。

仕方なく、コパ・エアラインのオフィスを探して見るが、そこも閉まっていた。

ハリケーン・イルマ

夕方になるとますます風は強くなり、雨が降り出した。

その日は宿主から外出するのは危険だから、夕食を家で食うように勧められた。

ホアキナの宿にいる人たちと夕食を食べ、リビングで撮影した動画を編集しているとますます風が強くなり、嵐になっていくのは一目瞭然。

その矢先、急に電気が落ちハバナの街は一面暗闇になってしまった。

アイフォンを天井にぶら下げて照明がわりにしてしのぐ。本当アイフォンすげー!

キューバに追加で6日間の滞在を強いられる

翌日、ハリケーンが過ぎた後の街をみて見ると、至るところで木々が倒され、建築物が壊されたり傾いているのが見えた。

また、マレコン通り前は洪水で道路が水浸しになっていた。

電気も復旧していないため、ほとんどの飲食店が店を空けていない。

特に何かすることもできずに、僕らはホアキナの宿で今まで撮った写真を整理したり、本を読んだりと時間を潰した。

また、インターネットの繋がるホテルには観光客が押し寄せ、大混雑していた。

そのため、入場に規制がかかり、インターネットも使えない。

なんとか飲み水などは買えるのだが、空いているレストランなどは見つからず、その日僕らは屋台に出ていたアイスを夕飯として食べた。

電気の復旧、だんだんと日常へ

翌日の朝、ハバナの街の電気は復旧した。

しかし、いつ空港が開くのかがわからない。

多くの人のもとへ振替のフライトのメールが届くのだが、それもまたキャンセルとなり、いつキューバから出られるのかわからないまま翻弄される日が数日続いた。

カンクン行きのフライトがいち早く再開される予定だと聞いたかと思えば、それも延期になったりと、多くの旅行客がいろいろな情報に振り回されている。

結果、僕は当初予定していたドミニカ行きを諦め、キューバ出国予定日の6日後にトロントに帰ることができた。

なお、ハリケンーン・イルマは、ハリケーンの分類中最大のカテゴリー5に属する超大型ハリケーンだったとのこと。

なお、キューバにカテゴリー5のハリケーンが直撃したのは1924年以来93年ぶりで、あまりの強風により現地気象観測所の観測機器が破壊されたという話も聞いた。

そう思うと、これもだいぶ貴重な経験だと「今は」思える。

キューバからやっと出れた時の感動は忘れられないw

やっとキューバから出られる。。。

キューバ旅行、最後に1 ーカストロとゲバラは正義か、それとも悪かー

ポップ・アイコンとして様々な商品に使われているチェ・ゲバラの肖像。

彼が具体的に何を成し遂げたのか、日本では明確に伝わっていない。

ただなんとなく「革命をした、かっこいい人」という風に伝わっている。

キューバに行く前に、Facebook上ににみんなはゲバラについてどう思う?、という投稿をした。

面白かったのが、スペイン人や南米の友人たちは、カストロとゲバラを、僕らが北朝鮮の独裁者を見る、その目で彼らを見ていた。

中には、彼らが革命を起こしたせいで、必要のない多くの犠牲者が出てしまったという友人もいた。

ますます、彼らが何者なのか定義づけが難しくなった。

そんなある日、僕より年齢も10歳以上離れている博識なカナダ人の友人に意見を聞いたところ、なるほどという意見が返ってきた。

彼の意見はこうだ。

当時、キューバを独裁していたバティスタとアメリカのマフィアが手を組んでいたせいで、まともな食事、教育、病気のケアを受けることができない人たちがキューバにはたくさんいた。

その現状に耐えられなくなったカストロが、バティスタ政権転覆を掲げ革命を目論む。

アルゼンチン出身のゲバラも革命軍に参加し、見事革命は成功。

確かに、多くの死傷者が出た。

しかし、徳川が日本をまとめるために多くの大名を殺し、犠牲者を出したように、何かが一つにまとまるためにはそれなりの代償が必要となってしまう、ということだった。

その後、教育や医療は無償で全国民が受けられるようになった。

アメリカとの関係が悪化したため、カストロはソ連に近づき社会主義国家となっていく。

そして、今のキューバが出来上がった。

経済的な面でいえば、彼らの行いは失敗したかもしれない。

キューバには貧しい人々が今も多い。

しかし、彼らがバティスタ政権を転覆させ、貧しい人々にも平等に、教育や医療を行き渡らせたいと誓ったその思いは、賞賛に値すると思う。

自分の中に確固たる意思を持っていたとしても、

それが必ずしも正しい方向に行く訳ではないということだろう。

マレコン通りを歩いていると、ポーランドから来た50代の男性に会った。

彼がいうには、ハバナの街並みは彼が幼少時代に見た風景ととても似ているとのこと。

ポーランドもその昔、社会主義国家だった。

民主主義 vs 社会主義。

1986年生まれの僕には、その構図は遠い昔の過去の産物のように思っていた。

しかし、それは確かに存在したのだ。

今ではほとんどの国が民主主義となった。

しかし、その昔、社会主義が正しいと信じていた国家が数多く存在し、その教育を受けていた年配の人たちの精神には、今でも社会主義のエッセンスが少なからず残っているはずだ。

それと同じように今自分たちが信じている常識も、時代の変化と共に移り変わり、過去のものになるかもしれない。

そう思うと、今自分たちが信じている常識というものも常に疑い、アップデートしていかないといけないのだなと気付かされた。

トリニダーの市立博物館で、スペイン人が黒人奴隷を使いサトウキビで多くの富を得たという事実を知った。

今の僕らからすると、それはとても許し難い行為だ。

しかし、当時の人間はそれが普通だと思っていたのだ。

今の僕らが普通だと思っていることの中にも、未来の人々がみて「なんて野蛮なんだ。。。」と思うことがたくさんあるはずだ。

キューバ旅行、最後に2 ー大学生との旅ー

今回は珍しく日本の大学生にたくさん会って、朝から晩まで行動を共にし、みんなでワイワイ酒飲んだりできた。

美術大学卒業の俺からすると一般大学生の人たちと飲むのは本当に楽しかったし、30代の自分が、10代、20代前半の彼らと色々な話をするのは本当に刺激的だった。

みんなモチベーションすごく高い。

北米に住んだり、外国人と仕事してると年齢は関係ないし、もうあまり意識しなくなってしまった。

もちろん、年上の人を敬う気持ちはとても素晴らしい文化だけど、必要以上に謙虚になる必要もない。

この繋がりが、また自分を成長させてくれると信じてる。

灼熱のキューバ編・完

(次は1ヶ月もしないでメキシコだ!)

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